芸術・文化支援サイト かるふぁん! -Fund for Culture-

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活動者の声

東京修学旅行プロジェクト

活動期間2016年 10月 10日 ~ 2017年 3月 31日

活動をしてみて

「活動の概況(2)達成できたこと」と内容が被るが、
常に新しいフォーマットを模索しつつ、クリエーションを行うPortBにふさわしい、小規模ながら非常に濃密で豊かな時間を共有することができた。
本プロジェクトはスタッフも「旅行に参加」するため、外部のみならず内部(=参加者)の目線も体験することができ、今後のクリエーションの発展に非常に有意義であったと言えよう。

福島県大沼郡金山町の語り手 五十嵐七重さんの民話語りを映像で記録する

活動期間2018年 7月 14日 ~ 2019年 4月 30日

活動をしてみて

 民話の伝承については、いま、大きな転換の時を迎えています。
 まず、祖父母や父母から、子どもの頃に聞き覚えた語り―これを「伝承の語り」と呼んでいますが、このような形での伝承の糸がほぼ切れようとしています。昨今のこうした状況のなかで、わたしたちは残っている伝承の語りを求めての採訪をつづけています。
 一方、所謂、伝承の語りとしてではなく、あらたに、本などによって独自の民話の語りを追求研究し、それを子どもたちへ手渡していこうとゆう運動も起こっています。こうしたグループの活動に、わたしたちは積極的に協力し、手持ちの資料で役立つものの紹介や、また、わたしたちの経験を語る講演なども行っています。

 そんな状況のなか現在撮影をすすめている、五十嵐七重さん(昭和十七年生)は、子どもの頃に両親から聞いた、いわゆる伝承の語りを、実に百話以上記憶しておられます。その一部は、文字資料として、小野和子が 『くふしまの民話集1 奥会津の伝承―五十嵐七重の語り―』として、2007年にまとめました。
 また、五十嵐さんはご自分が語るだけでなく、近隣のひとたちから希望者をつのって、新しい語り手の養成にも力を尽くしておられます。伝承の語りを、この上なく大事にして、さらにそのうえに現代の語り手たちの語りをも生かしていこうとする姿は貴重です。福島が遭遇した震災による放射線被害についても、語り継ぐべきテーマとして、どのように「現代の民話」として語り得るかをともに考えています。
 彼女の得難い伝承の語り、そして彼女の伝承に向かう活動、貴重なこれらのすべてを映像と音声で残したいと切に願って、今回の撮影を企画し、少しづつでも進めております。

 特に、東日本大震災後の福島においては「ふるさと」を取り戻し、見直しながらの復興の重大さを感じます。伝承される民話がその一翼を担っていると思いますので、この観点からも今回の映像撮りの意味は大きいと考えられます。
 そして、撮影が終了した時点では、この映像を広く各地で上映できる映画の形をとり、震災後の福島の力強さと、そして苦難を共有したいと思います。そのための方法としては、せんだいメディアテークとの協働作業として、メディアテークの活動である「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(通称わすれン!)の協力を得ていきたいと考えます。
(みやぎ民話の会顧問 小野和子)

MMIX 復興支援プロジェクト-3.11メモリアルプロジェクト

活動期間2011年 5月 11日 ~ -0001年 11月 30日

活動をしてみて

津波被災を受けた地域では、自治体によって急ピッチで瓦礫撤去が進んでおり、「3.11」の風化が懸念されるようになったが、仙台市市民共同推進課の協 力もあり、震災発生3ヶ月後には公共物の回収が可能となった。(自治体によっては対応が遅れる所もあり、市外では回収作業の出来なかった場所もある。)
 今後も継続した取り組みが必要であり、今後の分析事業や防災、減災教育事業にも生かしていきたいと考えている。

 被災地以外で開催された国際展で報告事業、展示を行う中で、関係者や観客からアンケートにより「くちゃくちゃになった道路標識を見て津波のすさま じさが分かった」との声が多数寄せられた。我々としても活動への理解の呼びかけ、後世へ被害を伝えていくことの重要性を考えるきっかけとなった。

 「震災遺物」を残す活動については遺族からの反対意見も出ているが、時間の経過と共にプロジェクトへの賛同者は、直接津波被害に遭った方々を含め確実に増えてきている。

被災地支援 「舞台芸術鑑賞&交流プロジェクト」

活動期間2011年 6月 1日 ~ 2011年 11月 30日

活動をしてみて

まずは慰問公演の前に釜石保育園を訪ねて園児たちと交流をさせて頂きました。
NHKでお馴染みのキャラクターの登場に子供達もさることながら、お母さん方や先生方が思いのほか喜んで下さり、「しばし被災地での育児の現実から解放されました」と言って頂き、皆さんその後の慰問公演にもご家族や友人を伴い訪れてくださいました。

その後釜石の三か所で慰問公演を行いましたが、会場ごとに雰囲気が大きく違いました。
最初に訪問した旧釜石第一中学校避難所ではまだ大勢の方々が避難所生活をされていましたが、夕食後の時間帯でもあり、お茶を召し上がったりお酒に興じら れたりされている中で温かく迎えられ終始和やかな公演及び交流会となりました。避難所所長の「震災直後はここに700名が収容されて横にもなれずに皆、膝 を抱えておりました」の言葉に一同胸を詰まらせました。

翌日朝の釜石小学校体育館は避難所でなかった事もあり、通常のコンサートのような盛り上がりとなりました。体育館一杯に集まって下さったお年寄り から子供達までが終始共に歌い踊り、手拍子を送って下さいました。参加者のお一人が「今日は全壊した自宅の解体開始日なんですけど、市役所の方に任せて元 気を貰いに参加しに来ました!来てよかったです!」と言って下さったのが心に残りました。

最後の会場の市民交流センター体育館には20組程の避難所生活者の方がまだ暮らしていらっしゃいました。今までとは違った重い雰囲気の中、外から 参加してこられた方々の明るい雰囲気とのギャップに、真の現実を垣間見た思いがしました。こちらには釜石市長始め市役所の方々もお越し頂き、感謝の言葉を 頂きましたが、我々こそ苦境において温かく迎えて下さった釜石の多くの皆様に感謝申し上げたい思いで一杯でした。避難所を後にする際、わざわざ外まで見送 りに出て下さったお年寄りの皆さんから「また是非釜石に来て下さいね!ありがとう。」と言って頂き、改めて太古の昔より音楽、舞踊、芸能とは人々の歓喜を 呼び起こし、力を与える事が出来るのだと実感させて頂きました。

このような機会を実現させて頂きました事を、一同を代表して心よりお礼申し上げます。

震災孤族を防ぐ ジャズコミュニティーカフェプロジェクト

活動期間2011年 8月 19日 ~ 2011年 8月 20日

活動をしてみて

コミュニティスペースを設け催事を開催することにより、親しい人と再会でき、また新たな知り合いをつくるきっかけともなり、改めてコミュニティスペースの必要性を強く感じた。
被災地とそうででない場所を直接市民レベルで生の声で交流することによって現在、またこれから何が本当に必要か、今後の街の復興に何をすべきかなどより深 く考え、次のステップにつながる試みだった。行政主導ではない、市民レベル、大衆文化からの街づくりの可能性を、ジャズという軽快な音楽を通じて楽しくか つ現実的に語り合えた。
被災者の方に「今の心境をジャズで表してください」など横浜からリクエスト曲をいくつか上げ選曲してもらった。言葉では伝わらない、また言い表せないことでも音楽、曲目で表現することによって深い印象となった。

ジャズのリズミカルな音は初めて聞く方にも心地よいらしく、被災地の方が体を動かして笑顔で過ごしていたのがとても印象に残った。イベントを行った というよりも、普通の街の中にある喫茶店の風景を被災地で簡易的にでも再現でき、こうした何気ない日常の大切さ、コミュニティスペースの大切さを改めて感 じる事ができた。

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