阪神・淡路大震災をきっかけに生まれた当会として、いつか東北で演奏し、被災した方々へ勇気と元気を届けたいと思っていましたが、ご寄付いただいた皆様のお陰で実現することができました。
コンサートでは最初、見たことのない不思議な楽器に「なんだろう?」という緊張感が会場にありましたが、演奏していくうちに皆さん次第に笑顔になられ、手拍子、踊りなどで一緒に盛り上がりました。楽器の体験会でもたくさんの方が参加されました。
最後には、「スティールパンのファンになった」「楽しかった」「今日はよく眠れるわ」という声をいただき、演奏者一同本当に感激した次第です。
NHKの復興ソング「花は咲く」を演奏した時は、涙ながらに一緒に歌って下さる方もいて、演奏者も涙の演奏となりました。
今回演奏以外に津波被害を受けた閖上地区を訪れました。日常で忘れてしまいがちですが、そこにはまだ復興の先行きが見えない現実がありました。こうした 経験や被災者の方とのふれあいを通して、今後もなんらかの形で私たちにできることから支援していきたい、という気持ちになりました。
ご寄付いただいた皆さまにはこのような機会を与えていただき本当に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
集客は相当に伸び悩み、直前に招待を出したところ招待客はかなり来場した。また、来場者の評価は有償来場者も含め比較的高かった。実際のクオリティと価格バランスには問題がなく、一般的な関心度もあるが、それでも集客には繋がらないため、実施スタイルについては抜本的な方向性の見直しが必要。子供の発表と勘違いされない工夫を凝らす、入場料に頼らない資金繰りをして入場料を抑える、ワークショップを中心として子供の体験事業を中心とする、地域の別事業と提携するなど。
また、各団体とのコミュニケーションはメール・電話がほとんどであったが、リハーサル時に一部混乱を生じることがあった。直接事前の打ち合わせは必要。
我々としては今回の事業により、日中伝統芸能団体との繋がりが更に広がり、また在日外国伝統芸能団体という特異な立場ならではの実績を積むことができたと考えている。これまでは京劇を中心とした活動をしていたが、その枠を超え、子供たちを中心とした異文化交流と広くアジアの伝統芸能継承を推進するために、より多くの団体に積極的にアプローチして多分野協同のプロジェクトを推進していく。そして、オリンピック開催年に向けて国際性の機運を高める一翼を担う。
今回、本プロジェクトで取り組んでいる下張り文書は「エヴォラ屏風下張り文書」と称されるものである。同一屏風の下張り文書が400年を超える時のなかで、エヴォラとリスボンに分断されて歳月を重ねて来た。リスボン、ポルトの下張り文書を修復することによって日本の歴史の隠されていた事実が明らかになりつつある。
本プロジェクトは二国間に股がる連携が必要とされる。国情や歴史認識の違いを乗り越えて作業を進めていくには時間が必要とされるということをあらためて痛感した。
既に返還した下張り文書についてはスムーズに進行したが、ポルトガルの政権が交代し担当部局の責任者が代わったことで今までになく手続きに時間を要した。慣習の違いとはいえ、相手国のレスポンスが遅く事務手続きが思うように進まないことを実感した。
本プロジェクトを理解し支援してくれている方々が現地の視察と協力要請にポルトガルまで出向いてくれたのは心強く、嬉しかった。今しなければ伝え残していくことが出来ないこのプロジェクトの意義を改めて支援者とともに認識し、成し遂げなければならないことと確信した。
企業協賛を募るにあたって理解はしてもらえるが、企業との関係性・メリット、投資家への説明責任が最優先されるのが現状で、このような文化振興と継承への寄付要請の難しさを感じる。
活動をしてみて
メディアで見る映像と、現地に行ってみる景色は本当に違います。
今回、被災地(今回の場合は気仙沼)に行って自分たちにできるガムランという音楽を通じて支援することの他に、小さいけれども私たちにできる応援があると強く感じました。
・気仙沼に行く、ということ。
・今の気仙沼を感じて、その状況を自分の周りの人に伝えること。
・行ったことのない人を誘って、気仙沼に行ってもらうこと。
・気仙沼の良いところを伝えること。
そして今回の活動を通じて、気仙沼の人たちとの新たなつながりが生まれました。
被災地復興支援という名目ではあるのですが、何回か通う事でビジネスライクなお付き合いから、一歩進んだ交流へと進んでいるように感じます。
現在、気仙沼の港湾地域は復興工事の真っ最中で、道路もあるのかないのかわからないほどのぐちゃぐちゃな状況ですが、地元で暮らす人たちは5年のうちに自分たちの生活を取り戻し、新たなリズムで前に進み続けているのを感じました。
また今回みなとまつりに参加して、東京から遠く離れた気仙沼でバリの文化にこんなに親しんでいる人たちがいることを初めて知り、バリ島を愛する人間として驚くとともにとても嬉しく思いました。