コロナ禍の中、無事安全に公演を開催することが出来るのか開催直前までずっと不安でした。
感染対策を行いながらの取り組みは、いつも以上に気を配ることが多く、先ずは無事実施できたことが今は何よりも良かったと思います。
アーカイブ配信やオンラインでのリーサルなどを取り入れたことにより、今後の新しい可能性が広がりました。
コロナで活動の機会が減った若手ダンサーやスタッフに対価が充分行き渡ったことも実施して良かったことだと思っています。
この度は寄付者が一件で、親族からの寄付であったので、今後もっと発展出来るようにしたい。
今回の反省点を次に活かし、今後も積極的に活動を行なっていきたいと思います。
有難うございました。
創立45年周年、ミュージック・フロム・ジャパン2020年音楽祭、第5回アーティスト・レジデンスは、2月19日コロンビア大学でのテーマ作曲家小出稚子の作曲セミナーにより開始されました。パワーポイントの画面には小出が描いた楽しい絵が映し出され、教授3名を含む大学院作曲専攻学生たちに自作4曲を流し英語で説明、多くの質問があり大変盛り上がりました。
21日は国際交流基金NY日本文化センターにて日米音楽シンポジウムが開催され、北米音楽批評家協会会員、米国人作曲家、そして日本から招いた音楽学者、作曲家とMFJ三浦など総勢10名がそれぞれの意見を述べ、日米間の世代を超えた貴重な情報交換の場となりました。
22日の小出稚子個展では7曲が演奏され、特にMFJ委嘱曲「毘沙門」はフレッド・シェリ―の指揮のもと見事な演奏を得て、大きな拍手を浴びました。
最終日は長木誠司が「アイデンティティなきアイデンティティの世代」のテーマのもと、講演では1920年代から現代までの日本の作曲家の歴史を述べ、引き続き開催した「選曲コンサート」では6名の若手作曲家の2014年以降に作曲された作品を紹介しました。最年少の小宮知久にMFJが委嘱したFor Formalistic Formal (SONATA?) Form For Fourは、解放弦のみでの演奏に弦楽四重奏団モメンタが挑戦し、聴衆は強い興味を示していました。
両日コンサート後に開催した「フォーラムI」と「II」では、現代の若手作曲家が日本の伝統という意識を超えた作品を強調したとの意見を表出しましたが、最終的には経験、思考、生活などを含めた潜在的な日本のくらしが自身の作曲に反映されていることが分かり、大変面白いフォーラムになりました。
いずれの会場も熱心に耳を傾ける聴衆に恵まれ、45周年を記念するに値する行事となったことに満足しております。
専門家による修復を通じ、上記仏像・屏風には、それぞれ胎内納入物(仏像・文書)・下張り文書があったことが明らかになった。
大日庵胎内納入物は、明治中葉のものであり、その10年弱前の大水害後の復興時に納められたと推測される。災害に遭いながらも信仰を守り伝える営みが、同じ場所に過去にもあったと考えられる。
被災資料のレスキューは、本ネットが現地の所蔵者・関係者、公的期間・民間関連団体との連携によって進められている。整理修復によって明らかになった知見は、当然ながら現地の方々、また上記諸関連組織と共有されるが、博物館展示また総会報告を通じて、より広い地域の方々、また県外の被災資料レスキュー活動団体にも、発信することが出来た。その意義は非常に大きい。
アンジェロ・マンジャロッティ展は、2004年TOTOギャラリー間で日本においてはじめて開催され、工業化時代の建築、プロダクト、彫刻などの研究成果を展示しました。
二回目は2012年イタリア文化会館にて開催し1959年から始まる歴代の日本人スタッフたちとの関係にも焦点をあてています。残念ながらこの展覧会終了直後マンジャロッティは91歳でなくなっています。
今回は三回目で「構築のリアリティ」をテーマとしコンクリートや鉄や大理石など、各素材を
生かした組み立て工法で実現した作品を中心に展示しています。
マンジャロッティの1952年から2012年まで約60年にわたる研究成果である建築、プロダクト、
彫刻の作品群とそれらを生み出した考え方を時間の経過ともに冷静に追体験する良い機会になりました。
オープニングセミナーにおいて槇文彦氏は、1958年にマンジャロッティの初期プレファブ建築を見学した時の体験談を披露しながら、真正面からモダニズムを追求し続けた数少ない建築家として「最後のモダニスト」という表現でマンジャロッティを大いに評価しています。
フランツ・グラフ氏はマンジャロッティのプレファブ工法がギリシャ古典期の「設計原則を明確に適用して柱と梁と屋根という最小限の部品で・・・無限の可能性を実現した。」と言及しています。
堀川絹江氏は「地域産業の工場や工房を訪れ、職人や技術者と対話を重ね、素材や製品の製造過程を見てなにができるかを探求した。」とマンジャロッティ本人からヒアリングしています。
二つのV字型フックからなる照明用ガラス製モジュール(ジョーガリ)は1967年から、
大理石テーブルシリーズ(エロス)は1971から長く愛され続けいるという話の一方で
フランチェスカ・アルバー二氏は竣工後約50年前後経過しつつあるマンジャロッティの建築作品の内10件の現状を調査し劣化、修理、改変状況等と保存の困難さをリアルに報告しています。
展覧会場でひとりの建築家がマンジャロッティのスケッチを見ながら「迷いのないスケッチだ」とつぶやいたのが強く印象に残っています。
イタリア、スイス、日本から出展いただいた豊富な展示物に対して会期が17日というのは少々短い気がしています。
入場者数1619人でした。
協賛いただいた会社及びイタリア、スイス、日本の関係者のおかげで今回の展覧会を行うことができました。
大変感謝しています。
活動をしてみて
コロナ禍の中、無事安全に公演を開催することが出来るのか開催直前までずっと不安でした。
感染対策を行いながらの取り組みは、いつも以上に気を配ることが多く、先ずは無事実施できたことが今は何よりも良かったと思います。
コロナで活動の機会が減った若手ダンサーやスタッフに、本助成を受けたことにより対価が充分行き渡ったことも実施して良かったことだと思っています。
今回の反省点を次に活かし、今後も積極的に活動を行なっていきたいと思います。
有難うございました。