音楽祭については、「ガルガンチュア音楽祭」と名称を変更するとともに内容もリニューアルし、「イギリス・アメリカの音楽」をテーマに、イギリスのオックスフォード・フィルハーモニー管弦楽団や天才少女ヴァイオリンストのHIMARIさんなど国内外から一流のアーティストをお招きし、クラシック音楽を中心に、映画音楽、ミュージカル、アニメ音楽、昭和歌謡等、多彩なジャンルのプログラムを展開した。
これまでのクラシックファンはもちろん、幅広い年代の方が楽しめる親しみやすい内容となり、また、天候にも恵まれたことから12万人を超える過去最高の来場者数を超えるなど、大盛況で終えることができた。
能登半島地震後はじめての開催となる今年の音楽祭では、入場料収入の5%を義援金として寄付するとともに、会場周辺では、能登産品の販売を行うなど復興支援の取り組みも行うとともに、被災者の方を無料招待するなどを行い、一定の復興支援等に貢献することができた。
「東京・春・音楽祭2024」は、マレク・ヤノフスキによる『ニーベルングの指環』ガラコンサートやムーティによる《アイーダ》をはじめ、20年目の節目に相応しい公演を多数お届けした。恒例のミュージアム・コンサート、東京春祭 for Kids、桜の街の音楽会等も開催。加えて、20周年の開幕を祝う鏡開きや、上野の街とコラボレーションしたレシート交換キャンペーン、20周年にちなんだプレゼントキャンペーン等、公演の開催に留まらない、広がりのある音楽祭となった。音楽祭開幕前~開幕中にかけては、実行委員長と音楽祭に所縁のある10人の対談、20年をテーマにしたコラム等、節目の年を盛り立てるコンテンツも展開。
2021年から継続しているライブ・ストリーミング配信も、安定した視聴者数を獲得した。
20年目を迎えられたのは、上野の方々、賛助会員、協賛各社、そして音楽を楽しみにしている聴衆がいてくださるからであり、感謝の気持ちを新たに、次の10年、20年への一歩を踏み出したい。
本事業では大阪市中央公会堂での定期演奏会を計3公演を実施した。4月にはバロック楽器を使用してテレマンらの作品を取り上げた公演を、大阪とハンブルクの友好都市提携35周年記念公演として実施した。5月にはベートーヴェンの第九初演からちょうど200年に当たる5月7日に、初演を再現した公演を実施した。7月にはクラシカル楽器を用いて18世紀のスタイルによる公演を実施した。
いずれの公演も来場者には本格的な演奏内容と会場である中央公会堂の雰囲気の組み合わせに満足して頂けた様子で、アンケートにも好意的な意見が多かった。当協会の取り組みはポピュラー音楽のように興行として成立させることが難しいため、このような形でご寄付を頂きながら活動が継続できることは大変ありがたいことであると感じている。
事業の結果概要
総参加者数は632名となり、地域住民を中心とする観客層が大半を占め、遠方からの参加も見られました。アンケート調査では「音楽の質」「会場の雰囲気」が高評価を得、今回の観客が次回全曲コンサートのリピーターと期待できる結果となりました。
2025年度は、ヴェルディのレクイエムの全曲演奏を計画しております。2024年度のコンサートが大好評だったので、来年度の観客動員数も期待ができます。今年度はサブイベントで山梨県内在住の障害者のコンサート鑑賞をサポートするプログラムを実施しました。音楽祭を通じて地域住民の結びつきが強まることをますます実感しました。
地域の企業や個人支援者との連携をさらに深め、地域経済を後押しできるようなイベントづくりを進めます。
活動をしてみて
寄付者の皆様、購入者の皆様、イベント参加者の皆様、実行者の皆様にお礼申し上げます。
おかげを持ちまして、元永定正の命日10月3日を「くれない忌」と名付け、様々な分野の皆様にご登壇いただきましたものが、1冊の本「元永定正を語る アートのあとさき」として出版することができました。
「一人の美術家を多面的に浮かび上がらせる今までにない試み」と評価されています。
本プロジェクトに関わったものたちの中で、「これが一区切りではなく、新たな出発である」と意見が一致し、これからも機会を捉えて、『元永定正を語る会』という名称で、語り繋いで行くこととなりました。
第一弾【元永定正を語る会 2024】は、宝塚市立文化芸術センターにて開催された「市政70周年記念展 宝塚コレクションー宝塚市所蔵作品展」に元永の代表作の一つ「いろだま」シリーズなどが10年振りに展示されるのに合わせて、2024年7月29日同センターにて、元NHKアナウンス室長の山根基世さんをお招きして、元永との交流で得られたお話と、絵本「もこもこもこ」などの朗読を行なっていただきました。
▪︎読売新聞2024年7月30日『元永定正さん 星座で絵筆 宝塚 山根基世さん 制作秘話』より抜粋
山根基世さんは1971年にNHKに入局。「映像の世紀」シリーズのナレーションを担当するなどし、元永さんとは美術番組の取材が縁で交流があったという。
語る会で、山根さんは、元永さんが画家を目指して三重県から神戸に出てきたことについて「頑張っていたら何とか絵で食べていけるようになった。一寸先は闇じゃなくて光やで」と語っていたと披露。
元永さんは長年、面白いと思う形をスケッチして保存していたといい、山根さんは「参考になるスケッチを並べ、キャンバスの前で正座して取り組んでいた」と制作の秘話を明かした。
まだまだ興味尽きない元永定正…に 乞うご期待!