●バリ、香港、沖縄など三陸だけではなく、各地のシシが集合。芸能を通したアジアと国内の繋がりを創ることはとても有意義だと思った。それはこれまで地域の郷土芸能だった故に、ほとんど外に出たことがなく、他の地域の芸能がどうなっているのかの情報交換の場がなかった。しかし三陸国際芸術祭によってであったことによって、知り合いになり、互いに情報交換が生まれ、そして同じシシでも各地各様に違う形式を持っていることに、実際に郷土芸能をやられている人たちが発見があったという。
この発展形として、今回、岩手県大槌町の『臼澤鹿子踊』とバリ島のバロンダンスが東京・六本木アートナイトにおいて共演・発表したことは、歴史的に大きなことだったと思う。
●全国には、まだまだ被災地に対して何かできないかと思っている方々が多くいる。郷土芸能に限らず、コンテンポラリーダンサーも同じ思いのものが多い。そういった表現者が被災地に足を運び、それぞれの表現方法をもって鎮魂の思いを伝えることができた。また、現地の方々との交流の機会にもなり、こういった人と人の繋がりが発展していくきっかけとなった。
例:郷土芸能とコンテンポラリーダンス(沖縄の再会、浦浜念仏剣舞が韓国に行きたいという思いが生まれる、など)
郷土芸能を良く知らなかった人はもちろんのこと、日常の当たり前のこととして活動していた芸能団体の方にも、あらためて郷土芸能の持つ意味を再確認する機会となった。
三陸国際芸術祭は、ある意味、文化芸術による復興、のひとつの大きな象徴となってきている。
●今回コミュニティダンスを2作品制作した。1作品は昨年のコミュニティダンスの演出家、小林あやが地元の一般の方々、障害のある子どもたち、中学生、高校生など、昨年から参加していた人たちと新たに参加した人たちが、ダンスを通して新たなコミュニティの形成に繋がっている。同時に、1年目のコミュニティダンスの演出を行ったマニシアは、赤ちゃんとお母さん、娘さんとお父さんの組み合わせで公募をし、仙台を含め、約25組50人の参加があった。これは継続していることによって、毎年楽しみにしている方々がしっかりと存在し、自分たちでダンスを創るグループを創ろうという動きになっている。
●一方、今回八戸での開催、そして大船渡のメインプログラムへ八戸と女川の芸能を招いたことにより、大船渡を軸に八戸から女川までネットワークが生まれ始めている。このことは三陸国際芸術祭としては大きなステップで、被災をした三陸の各地域をつなぐネットワークを形作っていきたいと考えている。同じように、韓国、インドネシアなど継続して招いていることにより、確実に芸能を行っている人たちの新しいコミュニケーションが生まれている。新たにフィリピン、香港など、アジアの芸能のネットワーク作りが始まっている。
●三陸、日本、アジアの郷土芸能団体とアーティストが、東日本大震災による甚大な被害を受けた三陸沿岸部に集い各々の芸を披露することで、自らの芸能や芸術が社会にとってどのような役割を担っているかを真摯に思索し、そのうえで社会が必要とし復興には何が有効であるかを共に考えることが、文化芸術による復興と、芸術文化を基にした新たな産業の創出の礎となることが期待できる。
●郷土芸能が新たな産業となる可能性。移住者など、その地域に新たに入ってきたものがコミュニティに入るためのきっかけとしての効果(気仙沼:もともとある祭りや芸能のコミュニティに入ることの敷居は高いが、新しく立ち上げる企画には参加しやすい)。
●身体表現によるルーツの類似性を知ることで、国籍を超えた人類の歴史を学び、表現方法の多様性を見出すことで、各々の思考的、技術的に水準向上を促進することができる。
●メインプログラムである盛町の“混沌商店街”では、芸能団体とコンテンポラリーダンスが、同じ会場で上演されたことにより、互いの作品を観る機会が生まれ、交流にとどまらず、即興のコラボレーションが自然に生まれるなど、これまでは起こりえなかった、コンテンポラリーダンスと郷土芸能の融合が生まれた。このことはコンテンポラリーダンスと郷土芸能の歴史の中で大きな出来事。お互いの類似性を知るきっかけとなった。
●本芸術祭を2020年まで継続して行い、様々な郷土芸能を日本全国、世界へと紹介すると共に、芸能を通して被災地間そしてアジアとのネットワークを培っていくことを目指したい。
●東京での実施による三陸の郷土芸能の発信。各地でのシンポジウム等への参加による全国への周知。三陸沿岸の小中学校へ、各地の教育委員会の協力による全校チラシ配布。共同通信による三陸国際芸術祭の記事(タイトル:転換への一歩、岩手県沿岸部の郷土芸能:外に開かれた新たな歴史)が全国(山形、愛媛、京都、岐阜など確認できただけでも10紙以上に掲載された。
●バリ、香港、沖縄など三陸だけではなく、各地のシシが集合。芸能を通したアジアと国内の繋がりを創ることはとても有意義だと思った。それはこれまで地域の郷土芸能だった故に、ほとんど外に出たことがなく、他の地域の芸能がどうなっているのかの情報交換の場がなかった。しかし三陸国際芸術祭によってであったことによって、知り合いになり、互いに情報交換が生まれ、そして同じシシでも各地各様に違う形式を持っていることに、実際に郷土芸能をやられている人たちが発見があったという。
この発展形として、今回、岩手県大槌町の『臼澤鹿子踊』とバリ島のバロンダンスが東京・六本木アートナイトにおいて共演・発表したことは、歴史的に大きなことだったと思う。
●全国には、まだまだ被災地に対して何かできないかと思っている方々が多くいる。郷土芸能に限らず、コンテンポラリーダンサーも同じ思いのものが多い。そういった表現者が被災地に足を運び、それぞれの表現方法をもって鎮魂の思いを伝えることができた。また、現地の方々との交流の機会にもなり、こういった人と人の繋がりが発展していくきっかけとなった。
例:郷土芸能とコンテンポラリーダンス(沖縄の再会、浦浜念仏剣舞が韓国に行きたいという思いが生まれる、など)
郷土芸能を良く知らなかった人はもちろんのこと、日常の当たり前のこととして活動していた芸能団体の方にも、あらためて郷土芸能の持つ意味を再確認する機会となった。
三陸国際芸術祭は、ある意味、文化芸術による復興、のひとつの大きな象徴となってきている。
●今回コミュニティダンスを2作品制作した。1作品は昨年のコミュニティダンスの演出家、小林あやが地元の一般の方々、障害のある子どもたち、中学生、高校生など、昨年から参加していた人たちと新たに参加した人たちが、ダンスを通して新たなコミュニティの形成に繋がっている。同時に、1年目のコミュニティダンスの演出を行ったマニシアは、赤ちゃんとお母さん、娘さんとお父さんの組み合わせで公募をし、仙台を含め、約25組50人の参加があった。これは継続していることによって、毎年楽しみにしている方々がしっかりと存在し、自分たちでダンスを創るグループを創ろうという動きになっている。
●一方、今回八戸での開催、そして大船渡のメインプログラムへ八戸と女川の芸能を招いたことにより、大船渡を軸に八戸から女川までネットワークが生まれ始めている。このことは三陸国際芸術祭としては大きなステップで、被災をした三陸の各地域をつなぐネットワークを形作っていきたいと考えている。同じように、韓国、インドネシアなど継続して招いていることにより、確実に芸能を行っている人たちの新しいコミュニケーションが生まれている。新たにフィリピン、香港など、アジアの芸能のネットワーク作りが始まっている。
●三陸、日本、アジアの郷土芸能団体とアーティストが、東日本大震災による甚大な被害を受けた三陸沿岸部に集い各々の芸を披露することで、自らの芸能や芸術が社会にとってどのような役割を担っているかを真摯に思索し、そのうえで社会が必要とし復興には何が有効であるかを共に考えることが、文化芸術による復興と、芸術文化を基にした新たな産業の創出の礎となることが期待できる。
●郷土芸能が新たな産業となる可能性。移住者など、その地域に新たに入ってきたものがコミュニティに入るためのきっかけとしての効果(気仙沼:もともとある祭りや芸能のコミュニティに入ることの敷居は高いが、新しく立ち上げる企画には参加しやすい)。
●身体表現によるルーツの類似性を知ることで、国籍を超えた人類の歴史を学び、表現方法の多様性を見出すことで、各々の思考的、技術的に水準向上を促進することができる。
●メインプログラムである盛町の“混沌商店街”では、芸能団体とコンテンポラリーダンスが、同じ会場で上演されたことにより、互いの作品を観る機会が生まれ、交流にとどまらず、即興のコラボレーションが自然に生まれるなど、これまでは起こりえなかった、コンテンポラリーダンスと郷土芸能の融合が生まれた。このことはコンテンポラリーダンスと郷土芸能の歴史の中で大きな出来事。お互いの類似性を知るきっかけとなった。
●本芸術祭を2020年まで継続して行い、様々な郷土芸能を日本全国、世界へと紹介すると共に、芸能を通して被災地間そしてアジアとのネットワークを培っていくことを目指したい。
●東京での実施による三陸の郷土芸能の発信。各地でのシンポジウム等への参加による全国への周知。三陸沿岸の小中学校へ、各地の教育委員会の協力による全校チラシ配布。共同通信による三陸国際芸術祭の記事(タイトル:転換への一歩、岩手県沿岸部の郷土芸能:外に開かれた新たな歴史)が全国(山形、愛媛、京都、岐阜など確認できただけでも10紙以上に掲載された。
2017年度は、開催期間を通じて台風、大雨となり、対応に苦慮した。それでも、多くの方にご協力、ご参加いただき、「三陸国際芸術祭」ならではの、郷土芸能の発信と、アジアと三陸の芸能の交流、地域の方々とともにまちをつくる試みなどを行なうことができた。
今年のメイン会場となった大船渡駅周辺地域。本格的なまちびらきが行なわれたとはいえ、なにも建っていないかさ上げ地もある。日々変わりゆくまちなかで、はるか昔から継承されてきた郷土芸能の演舞。芸術祭をきっかけに、今の三陸を見ていただくことができたなら、ひとつの地域貢献が成し遂げられたのではないかと思う。
2017年度は、開催期間を通じて台風、大雨となり、対応に苦慮した。それでも、多くの方にご協力、ご参加いただき、「三陸国際芸術祭」ならではの、郷土芸能の発信と、アジアと三陸の芸能の交流、地域の方々とともにまちをつくる試みなどを行なうことができた。 今年のメイン会場となった大船渡駅周辺地域。本格的なまちびらきが行なわれたとはいえ、なにも建っていないかさ上げ地もある。日々変わりゆくまちなかで、はるか昔から継承されてきた郷土芸能の演舞。芸術祭をきっかけに、今の三陸を見ていただくことができたなら、ひとつの地域貢献が成し遂げられたのではないかと思う。
活動をしてみて
2014年、2015年と継続し、特に顕著になってきているのは、地元からの参画がより増えて来ていることである。
というのも、郷土芸能を上演する際、会場やテーマについて事前に話し合いを重ね、地元の郷土芸能の演者の方々からそれに相応しい演目を提案して頂いたり、会場を想定した稽古をされるなど、芸術祭の主旨を共有しながら、提案もして頂けるようになってきている。また、上演の終了後も次年度以降について、地元ならではの提案やご意見を伺う場面が多くあった。これは郷土芸能が持つ個性や魅力を最大に発揮し発信する場として、三陸国際芸術祭への理解と期待が高まってきていると考えている。
また、地域に滞在し郷土芸能を習うことを通して、また作品制作することを通して人と人の交流が生まれ、郷土芸能の話題だけでなく暮らしに纏わる話しも頻繁に行われるなど関係性も深まり、共に互いの芸能の向上について、率直に意見しあえる関係を築くことができた。このことで、三陸の郷土芸能の方たちにもより一層の向上心が生まれ、創意工夫など今まで以上に研鑽されている様子を伺い知ることができた。
観客や参加者として三陸国際芸術祭に関わった三陸の方々が、海外の郷土芸能の状況を知ったり、コミュニティダンスなどで身近な人が踊っている様子を見たりすることで、新たな発見や感動が生まれ次年度以降も地域一体となって関わりたい、出演したいという声を多くきくことができた。
また、事務局で働くスタッフや芸術祭を支えてくれる人が地元からも多く生まれ、地域の方々との協働がより充実してきたと考える。